はじめに――痛みの常識が変わりつつある
かつて「痛み」は、身体の異常に反応する単純なシグナルだと考えられていました。
しかし現在では、痛みは単一の神経経路の問題ではなく、脳全体に広がるネットワーク活動の結果であると理解されています。
この新しい考え方を示すキーワードが、ペインマトリクス(Pain Matrix)です。
ペインマトリクスとは?
ペインマトリクスとは、痛みの知覚や調節に関与する複数の脳領域からなるネットワークを指します。
単に「どこが痛いか」を知らせるだけでなく、
- 不快感
- 恐怖や不安
- 痛みに対する注意
- 痛みの意味づけ
といった、痛みにまつわる感情や認知も含めた複雑な体験すべてが、このネットワークによって生み出されます。
つまり、痛みとは単なる感覚ではなく、脳が生み出す統合的な体験なのです。
背景――ニューロマトリックス理論とペインマトリクスの誕生
ペインマトリクスという概念の背景には、1960年代にカナダの神経科学者ロナルド・メルザック(Ronald Melzack)が提唱したニューロマトリックス理論があります。
この理論では、痛み体験は単に外部からの侵害刺激だけでなく、
- 遺伝的要因
- 心理的要因
- 社会的要因
など、個々の背景を反映した脳内ネットワークの活動によって生まれるとされました。
この考え方によって、
痛みは「体に何か悪いことが起こった結果」ではなく、「脳が作り出す体験」である
という、まったく新しい視点が生まれたのです。
その後、fMRIやPETといった脳画像技術の進歩により、侵害刺激に応答する脳領域の共通パターン(=ペインマトリクス)が次第に明らかになっていきました。
なぜこの視点が重要なのか?
この新しい痛みの理解は、臨床において非常に大きな意味を持ちます。
痛みを単なる「症状」ではなく、脳のネットワーク全体の問題として捉えることで、
- 慢性疼痛
- 線維筋痛症
- 神経障害性疼痛
といった、従来の治療では改善が難しかった痛みにも、脳科学的アプローチが可能になるからです。
痛みを「体の異常」だけで説明する時代は、もう終わりを迎えようとしています。
まとめ――痛みの正体に迫る
✅ ペインマトリクスとは、痛みの感覚・情動・認知を担う脳のネットワーク。
✅ 痛みは単なる信号ではなく、脳全体が生み出す統合的な体験。
✅ ニューロマトリックス理論により、痛みの理解は根本から変わった。
✅ 現代の慢性疼痛治療には、脳ネットワークの視点が不可欠となっている。
The role of pain modulation pathway and related brain regions in pain
Dandan Yao, Yeru Chen, Gang Chen
Brain imaging of pain: state of the art
Debbie L Morton, Javin S Sandhu, Anthony KP Jones
The Duration of Chronic Pain Can Affect Brain Functional Changes of the Pain Matrix in Patients with Chronic Back Pain: A Resting-State fMRI Study
Yingxuan Hu, Junqin Ma, Bingmei Chen, Jiahui Pang, Wen Liang, Wen Wu