歴史的背景と、従来の疼痛教育との決定的な違い
「痛みは身体の警告サイン」──その常識を疑う
かつて、痛みは「身体の損傷や炎症による警告サイン」と考えられていました。
しかし、慢性的な痛みに悩む患者の中には、明確な損傷が見つからないケースも多く存在します。
このような現象に対する新たな理解として登場したのが、Pain Science Education(PSE)です。
🔁 従来の疼痛教育の限界
従来の疼痛教育は、構造的・局所的な視点に依存していました。
- 「痛みは炎症や損傷によるもの」
- 「まずは画像を撮って、異常を見つける」
- 「異常がなければ、気のせいでは?」
こうした説明では、慢性的な痛みに悩む患者の苦しみは十分に理解されず、時に「サボり」「心因性」「治りにくい人」と誤解されてきました。
🔬 1980年代〜:痛みの再定義が始まる
1980年代以降、中枢性感作や可塑性といった現象の発見により、「痛みは単に損傷のサインではなく、脳でつくられる複雑な体験である」ことが明らかになりました。
同時期に登場したのが:
- BPSモデル(生物心理社会モデル / G. Engel)
- タマネギ皮モデル(R. Loeser)
これらは、痛みを生物学的・心理的・社会的要因の重なり合いと捉える考え方で、今日の慢性痛治療の前提とも言える重要なモデルです。
🧠 1990年代:CBTの導入と限界
その流れを受けて、心理学の分野では認知行動療法(CBT)が疼痛管理に応用され始めました。
しかし、ここで壁にぶつかります。
❓「組織に損傷があるのに、行動療法でよくなるってどういうこと?」
というように、多くの患者や医療者が痛みの本質に関する誤解を抱いたまま、CBTに取り組もうとしていたのです。
📘 2002年〜:PNE(Pain Neuroscience Education)の登場
このギャップを埋めるために登場したのが、Pain Neuroscience Education(PNE)です。
- 提唱者:L. Moseley、D. Butler ら
- 有名な本:「Explain Pain」(2003年出版)
PNEの目的はシンプルです。
「なぜあなたの痛みは続くのか?」を神経科学に基づきわかりやすく説明することで、患者が自分の痛みを理解し、行動療法や運動療法への納得と動機づけを得られるようにすることです。
実際、PNEは臨床研究で次のような効果が報告されました:
- 痛みに関する誤解の軽減
- 痛みへの不安や恐怖の減少
- 自己管理行動の向上
🌍 近年:PSE(Pain Science Education)への進化
2000年代以降、PNEは世界中で活用され、研究が蓄積されていきました。
そのなかで登場した次世代型の疼痛教育が、Pain Science Education(PSE)です。
PSEは、PNEに比べてより広範な視点と教育理論に基づいたアプローチとなっています。
✅ PNEとPSEの違い
比較項目 | PNE | PSE |
---|---|---|
主な内容 | 神経科学的説明 | 神経科学+免疫学・心理学・ 教育心理学など |
教授法 | 解説中心(講義型) | 対話型・体験型・参加型 (構成主義) |
モデル | 「説明して納得」 | 「共に意味を再構築する」 |
代表研究グループ | Moseley & Butler | PETAL(Pain Education Team to Advance Learning) |
PSEでは、単に知識を与えるのではなく、学習者(患者)が自分自身で「痛みの意味」を再構築することを重視します。
ICAPモデル(Interactive, Constructive, Active, Passive)などの教育理論を応用し、体験・対話・リフレクションを通じた気づきを促すのです。
🧩 なぜPSEが必要なのか?
- 患者の多くが「痛み=損傷」という固定観念を持っている
- 教育が不十分なまま、自己管理や運動療法に移ると挫折しやすい
- 科学的根拠に基づく説明が、患者の行動変容と予後改善につながる
PSEは「痛みの科学」を教えるだけではなく、患者の人生の物語を再編集する営みでもあります。
🧠 まとめ:PSEとは「新しい痛みとの向き合い方」
Pain Science Educationは、ただの「説明」ではありません。
それは、痛みに意味を与え直し、希望を持って生きるための知の再構築プロセスです。
- 痛みの仕組みを知ることで、恐怖を減らす
- 行動の変化を促す
- 科学と物語をつなぐ
そんな可能性を秘めた教育アプローチが、PSEなのです。
参考文献
- Teaching Patients About Pain: The Emergence of Pain Science Education
- Pain Neuroscience Education – Physiopedia
- Pain Neuroscience Education: Effects on Pain and Disability in Patients with Persistent Low Back Pain
- Making Pain Education Better – PETAL Collaboration
- From didactic explanations to co-design, sequential art and embodied learning: challenges, criticisms and future directions of patient pain education